聖母の被昇天

うしろ姿のマリア

ルカ1.39~56

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。

マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子も喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

そこでマリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今からの後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう。
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません。
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

【福音の小窓】
幼い頃に通っていた幼稚園は教会と隣り合わせに建っていた。聖堂は東北では珍しいゴチック様式で、前面には豪華な祭壇があり、後方にはらせん階段が備えられ、ステンドグラスからは、いつも柔らかな光がこぼれていた。重要文化財であったためか、月に一度の礼拝の時だけ園児の入堂を許されていたが、普段は禁じられていた。そんな禁断の空間だからこそ、そこは幼い者たちにとっては探検に値する場所であり、先生の目を盗んで潜入するスリルと、忍び込めた時の達成感を味わっていた。

その日も数人の探検家たちが、誰にも見つからないように、そろりそろりと聖堂に近づき、あたりを見廻し、そっと扉を開けた。まさにその時、前にいた誰かが、小さく叫んだ「あっ、マリア様だ!」と。私はその言葉に反射するように中をのぞき込んだ。そこには白いベールを被り、ひざまずき祈っている美しい女性がいた。・・・紛れもなく「マリア」だった。私の身体は金縛りのように、そのうしろ姿に釘付けとなった。それほど、その姿は神々しく、美しかった。
何ということはない、それは私の誤解に過ぎず、実はたまたま教会で祈っていた女性を見た幼い私が、勝手にマリアだと思い込んだだけなのだろう。だがあの時の光景と驚きは、私の心の中に今でも鮮明に残っている。そして、あの瞬間から静かに祈るうしろ姿が「私のマリア」の原型となった。

聖書の中にマリアは頻繁に登場しないし、多くを語ってもいない。マリアはいつもひそやかで控えめで目立とうとはしない。でもどんな時もぶれることなくいつも一番大切なことを指し示してくれる。マリアを思うとなぜか歌舞伎の「千両役者」と言う言葉が思い浮かぶ。歌舞伎では千両役者は決して序盤から出ることはない。いつも今しかないと言う時に登場し大切なことを告げる。出しゃばらないけど、出る幕を知っている。それが千両役者の役割であり、聖書の中のマリアの姿でもある。

天使ガブリエルのお告げに「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1-37)と答えたマリア。長い山道を歩きエリザベトを訪問し励ましたマリア(ルカ1.39-56)。子を宿した身でベツレヘムまでの長い道のり旅をして馬小屋の中でイエスを産んだマリア(ルカ2.1-6)。カナの婚宴では召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」とイエスを指し示したマリア(ヨハネ2.1-12)。十字架上での我が子の死を見届け、悲しみを受け入れたマリア(ルカ23.26-27)。マリアの生涯は決して華やかでも順風満帆ではなく、出来るならば受け入れがたい出来事の連続だった。だがマリアは、どんな時も神への目線をそらすことなく、ひたむきに真っすぐに強く、そしてけなげに自分の人生を生き抜いた。
「マリアの賛歌」には生涯を通して神への愛を全うし、天に挙げられたマリアの思いと祈りが込められている。

カトリック教会は1950年11月1日ビオ12世によって、聖母マリアは肉体と霊魂を伴って天の国へと挙げられたと「聖母の被昇天」を宣言した。

天に挙げられたマリアは、子供のころに見たあの「うしろ姿のマリア」だった。

イエズス・マリアの聖心会

本間研二