イースターメッセージ いのちは流れ

 山形に長年親しくさせていただいている天台宗瀧山寺(りゅうざんじ)の住職がいます。同じ境内にあったカトリックの「こまくさ保育園」の園長を1999年からわたしが務めたことがきっかけで家族ぐるみのお付き合いが始まりました。住職との飲み会は「宗教者サミット」と冗談半分に称して開き、山形を離れてから今も続いています。

 2008年に親しくしていた伯母が亡くなった直後、山形に行って住職に会い「サミット」を行ったときに、わたしはその悲しみを彼にぶつけたことがあります。そして、「早く苦しみのない天国に行きたい」と言った時の、わたしの目を見つめて言ってくださった彼の言葉が忘れられません。

 「そんなに早く天国に行って何すんの?あのな、司祭よ、おれは腎臓が悪くて週3回透析をやっているんだ。毎回寝ながら4時間、自分の体から血が出ていって器械の中を通って、また戻ってくるのを見ながらいろんなことを学んだ。その一つが、いのちは流れだっていうことだ。いのちは流れなんだよ。それを自分で止めちゃあいけないよ。」

 わたしは彼の透析のことをまったく知りませんでした。わたしの目から涙があふれてきました。住職は、わたしが死にたいと思っているのではないかと心配したのでしょうか。そこまで心配してくれる友人(彼はわたしよりも10歳も年上ですが)がいることを改めて知って、わたしは深く感動しながら反省しました。

 いのちは流れ。カトリック的に言えば、それは永遠の流れです。それを止めてはならない。イエス様の教えそのものです。神様のその大切な流れが、人間によって止められることがあってはなりません。

 新型コロナの足かせが解けてきた今も、戦争や自然災害、身近な問題に至るまで、人間はさまざまな苦しみにさいなまれています。子どもの自死が昨年過去最多になってしまったことも忘れてはなりません。しかしどんなときも、大切ないのちの流れを止めることがけっしてないようにと願い、祈り続けたいと思います。復活された主イエス・キリストが、すべてのいのちをお守りくださいますように。

 

イエズス・マリアの聖心会
管区長 千原 通明