愛のひびき

「イエスのみ心」の祭日

 (ヨハネ19.31-37)

その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り下ろすように、ピラトに願い出た。
そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た。
それを目撃した者が証しており、その証は真実である。
その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。

[福音の小窓]

中学校に入学してまだ日も浅い六月の梅雨の中、私は父と一つの傘に入り、土手沿いの道を歩いていた。厳格で無口だった父が、唐突に「お前も中学生になったんだな」と小さな声でつぶやいた。
どんな文脈でその言葉が語られたのか、今となっては確かめようもないが、どうでもいいような言葉の切れ端が、この季節になると、灰色の空と水たまりの風景とともに心によみがえって来る。

戦中・戦後を生き抜いた一老女が次のような文章を書き残している。

「日本は神の国、戦には負けない国だと教えられ、20歳になっても信じておりました。『勝った、勝った』という連勝報告の陰で、死んでいく兵隊さんの悲惨さより勇ましさに打たれる、といった単純さでした。
弟に召集令状が届けられた時も、私は両手をついて『おめでとうございます』と挨拶しました。国が丸ごとそういう精神状態だったのです。
出征する弟と二人で田舎の叔母に挨拶に行った時に、叔母が弟に『いいか、決死隊志願者は前へ出ろと言われても、ハイなんて真っ先に出るのではないど』と申しました。私はその言葉に驚きました。当時は明らかに珍しい言葉だったからです。あの時は確かに聞き捨てたはずの言葉でした。
しかし耳が大切にしまっていたのでしょう。今日でも何かの暗示のように取り出せるのです。それは、あの言葉が『本当のひびき』を持っていたからだと思います。
今も私たちは『権力とか常識の虜』になり、そういう真実の言葉を、いつも持ち得ないで生きているのではないか?と時々心配いたします」。

叔母が弟に言った「いいか、決死隊志願者は前に出ろと言われても、ハイなんて真っ先に出るのではないど」、つまり「死ぬな、生き抜け」との言葉を彼女の理性は、いったん不要として捨てました。
ところが耳は拾いました。それはこの言葉が「本当のひびき」を持っていたからでしょう。
しかし、しばしば私たちは「本当のひびき」を持つ言葉をいとも簡単に捨て去りながら生きています。

2000年前、イエスの弟子たちの多くも、イエスの言葉を聞いて「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」と言って、それらを聞き捨てます。それどころか最後には、すべての弟子たちがイエスを十字架上に見捨てたのです。
そんなイエスの言葉など誰が覚えている必要がありましょう。しかし人々がイエスをどんなに嘲笑し罵倒しても、それぞれの耳が拾ったのです。・・なぜでしようか。それはイエスの言葉に「本当のひびき」があったからに他なりません。

「本当のひびき」とは何でしょうか。それは曇りのない「真実のひびき」であり、何ものをも恐れない「愛のひびき」です。
言葉の内側に「愛が充満」している時、それがたとえ、ありふれた言葉であっても、こちらに聞く気がなかったとしても、「愛のひびき」を耳が瞬時に識別して拾いあげるのです。

イエスの言葉には「愛が充満」していました。だからこそ理性がどんなにイエスを否定しても、人々の耳はイエスの「愛のひびき」を拾いつづけたのです。

遠い昔、父と歩いた土手沿いの道、あの時の父の発した一言を灰色の空と水たまりと共に、今でも時々思い出せるのは、あの言葉が、私の耳が拾った「愛のひびき」だったからなのでしょうか。

イエズス・マリアの聖心会
本間研二