うちの子なら、この杯を飲みなさい

〔そのとき〕イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
 それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心行われますように。」
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。
 それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪びとたちの手に引き渡される。
立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

マタイ26.36-46

【福音の小窓】

 私が小学生の頃、父は教員をしていた。決して裕福ではなかったが、とりわけ貧しい訳でもなかった。ところが父が結核を患い長期の入院をしてから生活は一変した。入院が長引いたため首となったのか、それとも自ら退職せざる得ない社会環境だったのか、父が亡くなった今となっては確かめようもないが・・父は無職となった。
 母はパートで働き始めたが、まだ幼い私には父が無職となった意味を理解することは出来なかった。だがその意味は食卓の変化によってすぐに現れた。いくら母がパートで働いたとしても、教員だった父ほどの収入を得るはずもなく、そのしわ寄せは食費の節約で補うしかなかった。日に日に食卓のおかずの数が減っていった。いま思えば、母は精一杯働いてくれていたはずなのに、そのことに気づかない私は、おかずの少なさに駄々をこね「なんで今日もおかずがこんなに少ないの。焼肉やソーセージや卵焼きが食べたい」と毎日のように母を困らせた。ついにある日「こんなの食べたくない!」と言って、食卓の上のものを母の方に押しやった。「出されたものを食べなさい」と母は食卓のものを私の方に押し返して来た。でも私は「いやだ、食べたくない」とまた突き返した。何度か押し問答の末に、母は悲しげな顔で「食べなさい。〝お前がうちの子なら〟これを食べなさい」と小さな声を絞り出すように言った。その言葉に私の心は動揺した。どんなことであれ、親と子の契りが切れてしまうのは耐えられなかった。母とはいつまでも繋がっていたかった・・・だから私は泣きながら食べた。

 イエスも私と似た体験をしたようだ。イエスがゲッセマネの園で祈っていた時、天の父はイエスに一つの杯を差し出した。その杯を受け取り、中を覗き込んだイエスはギョッとした。なぜなら杯の中には、人々から裏切られ、罵倒され、唾を掛けられ、鞭打たれ、十字架上で息絶えると言う、想像を絶する苦しみが注がれていたからだ。
イエスは、こんな杯は飲めるはずがないと「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ26.39)と押し返した。しかし天の父は「お前がうちの子ならこの杯を飲みなさい」と引き下がらない。イエスは苦悩しながらも、この杯を受けることが天の父の〝人々への愛〟を具現化する、ただ一つの道だと悟り、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ6.同)と杯を飲み干した。

 〝自分を変える〟とは、苦く激しい痛みを伴う営みである。しかし、その営みを通してこそ人は、神の人々への深い愛を具現化できるのだと、イエスは自らの生涯を通して私たちに教えてくれた。
今日もまた私の前に苦い杯が差し出される。・・・やはりまた「こんな杯は飲みたくない」と拒む私がいる。その時に神は私の心の奥深くに、そっとささやき掛けてくる「うちの子なら、この杯を飲みなさい」と。
この苦い杯(受難)の先にこそ、神の愛は隠されている。きっと、それこそが〝信仰の神秘〟。

イエズス・マリアの聖心会
本間研二