痛みのない愛は無く

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だからあなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

マタイ5.38-48

【福音の小窓】

ハンセン病の施設「全生園」に初めて行ったのは神学生の時だった。自分の所属する修道会にハンセン病の人々のために生涯を捧げ、自らもハンセン病で逝った「聖ダミアン神父」がいた事もあり、勇んで行った記憶がある。

緊張しながらも病室のドアをノックすると「どうぞ」という声が中から聞こえ、扉を開けると微笑むおばさんが迎えてくれた。アパートの一室の様に質素で掃除が行き届いた病室には小さなちゃぶ台が置かれていた。神学校から来た旨を告げると「私もカトリックの信者なのよ」と喜んで部屋に招き入れてくれた。

おばさんの気さくな人柄と信者同志の気安さで、しばらく話し込んでいたが、話がひと段落した時に、ちゃぶ台にお茶を出してくれたおばさんの手を見た私は動揺した。両手がケロイドの様にはれ上がっていたのだ。それがハンセン病の後遺症によるものだとすぐに分かったし、病には特効薬があり、もう感染はしない事も分かってはいた。しかし、万が一うつりはしないか、うつったらあんな手になりはしないか。そんな恐怖心から、そのお茶を飲む事が私には出来なかった。今まで気兼ねなく話していた私だったが、それを機に話す言葉が出なくなってしまった。気まずい空気が流れ、居たたまれなくなった私は、たまらず「帰ります」と言い、ドアを開け一歩足を外に踏み出した。まさにその時、後方から温かな優しい声が響いた「今日は来てくれてありがとう。また来てね」と。その声は私の胸に突き刺さった。しかし私はその声を振り払うようにその場を離れ、逃げるように神学校に帰って行った。

神学校に帰ってからもその声が私の心から離れる事は無かった。自分の無神経な無礼さと、罪悪感。神父になる事を夢見ながら、いったい何を目指しているのか。その答えを探すために私は度々全生園を訪問するようになっていた。

もちろんあのおばさんの部屋にも幾度となくお邪魔し、いつしかお茶もガブガブ飲むようになったし、おばさんにミカンをむいてもらいムシャムシャ食べるようになっていた。

ある時、私は思い切って聞いてみた。「私が初めて来た時、私は無礼だったでしょ。傷ついたでしょ。それなのに帰る時になんであんなに優しい言葉で私を送り出す事が出来たの?」そんな私の問いにおばさんは答えてくれた。「私がここに来たのは17歳の時。それから今日まで一回もここから出たことはないの。親を恨み、世間を呪い、人生に絶望もした。だから私は死んだら天国に行きたいの。でも天国に行くためには、自分の出来る事を精一杯しなきゃダメだと思うの。だけど、どこにも行けない私が出会えるのは全生園の先生と、ここで働く看護婦さんと、そして時々訪ねてくれる人達だけ。だから私は、出会えた人を大切にすると決めたのよ」。「今日は来てくれてありがとう。また来てね」。・・・あの言葉は長い苦しみの果てに紡ぎ出されたもの。

イエスは言う「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5.45)。しかしそれを生きるのは誰もが出来る事ではない。「痛みのない愛は無く、痛みの中にこそ真実の愛は潜んでいる」。

イエズス・マリアの聖心会

本間研二